母親がすい臓がんになった話

あれ、お母さん、こんなにご飯食べれなかったっけ

これが悪夢の始まりだった。

約1年半前の2022年6月。私が母とイオンモールにご飯を食べに行ったときの話だ。

当時は母はダイエットをしていたから、食べる量を減らしていた。にしても、ご飯に全然手を付けなかった。

「お母さん、ご飯食べないの?」

「うん、何か食べれない。」

何かおかしいなと、謎の勘が働いた。イオンを歩き回ってショッピングすることもできず、すぐに疲れてしまったり、便秘が続いていたり....

車に戻って母に病院に行くよう促した。母親というものは謎に病院に行きたがらない。

子どもには行け行け、という癖に。だから今回は真剣に説得した。

「病院に行った方がいいよ。何かおかしいよ。」

「そうだね、今度行ってみる。」

妙に素直な母から今の症状を聞き取り、メモを取って近くの内科に行くことを決めた。

腫瘍マーカーの数字

内科で検査をしたところ、腫瘍マーカーで異常値が出ていることが分かった。

心なしか母の具合もだんだん悪くなっているように見える。

「もう寝るね」

いつにもまして弱弱しい声で和室へと消えた母を見送ってから、検査結果を調べることにした。

「CA19-9」という部分が400以上あった。基準値は37らしい。Hって書いてる。

高いってことか。いったい何が悪いんだろ。まさかね。

震える手で検索をかけた。

「すい臓がん」の文字が目を奪った。しかも検索欄には生存率10%以下とか書いてる。

え????????

目の前が真っ暗になった。母親が死ぬことを22歳で考えてもいなかった。

衝撃で頭がぐらぐらするなんてことあるんだ、と本気で思った。

そこからしばらく絶望で当時のことを覚えていない。

ただ、苦しそうに1階で寝ている母を置いて、ベランダで大泣きしながらがん相談センターとか、いのちの電話とかそういった類の話を聞いてくれるサービスに電話をかけまくった覚えはある。

今思えばあそこでメンタルが一回終わってしまった。

私は一回あそこで死んだも同然だった。

家族に打ち明けるタイミング

すい臓がんであることはほぼ確定だろうと思ったが、レントゲンを撮るまでは断定できないので、妹にはレントゲンを撮ったら報告しようと母は話した。

ただ、父には隠していてもしょうがないのでタイミングをみて腫瘍マーカーのことを話すらしかった。

この家族に隠しながらいつも通り笑顔で過ごす期間は私にとってかなり苦痛だった。

1人でとんでもない爆弾を抱えている気分だった。

父の仕事がひと段落した夜、母は父に話し始めた。

こんなことをいうのは恥ずかしいが、正直この時私の家族は関係がボロボロだった。

特に父は定年のタイミングで、今までとの環境の変化で私と妹、母の笑い声を聞くとイラつくくらいには追い込まれていたらしい。

そんな父は大きな声を出して母に聞き返した。

「それ、ほんまか?」

静まり返る家の中で、この世の終わりみたいだと感じた。

黙り込む父とうなだれる母。これからどうなるんだろうな。

そんなことを思いながら、父に打ち明けた翌日、母のレントゲンを撮りに行った。

宣告された日

レントゲンの結果が出たから来てください、と内科から連絡があった。

母は父と行くからついてくるな、と私に言った。

内科に行く日、私は怖くて起きられなかった。布団をかぶって父と母が出かけるのを確かめてから、妹を起こした。

妹には言わなきゃいけない、まだ宣告されてないけど、覚悟を決める時間が無いと心が壊れちゃうかもしれないし、早いタイミングでお母さんいなくなっちゃうかもしれないよって。言わなきゃいけない。

そう思って起きたばかりの妹に残酷なことをした。絶望で固まってしまった妹を抱きしめて、泣いた。

ずっとラインの画面をみて母や父からの連絡を待った。

「大丈夫だよ」

たったそれだけラインが来た。

もうわかってしまった。絶対大丈夫じゃない。

電話をかけて急いで話を聞こうとした。どうだったのって。

「もしもし、どうだった?なにかいわれた?」

「うん。影があるって。がんだっていわれた」

なんでそこでそんな優しい声が出るんだよと思うくらい優しい声で、

母は苦しい現実を教えてくれた。

「今からお父さんと大きい病院行ってくるから。ちょっとまってて。」

2人が帰ってきたのは夕方だった。

母はすい臓がんのステージ3だった。

いつも優しい、毎年私たちにインフルの予防接種をしてくれる先生が、

淡々とそういったらしい。

「早かったよ。入ったら、うん。そうですねって。影ありますって。」

神様なんかいないと本気で思った。私のお母さんが一体何をしたというんだろう。

何か悪いことしたのかな。本気で何かを恨んだ。

その夜から母はお腹と背中が痛いと苦しみだした。

母が好きな辻井さんのクラシックをかけて、ソファで母は呻いていた。

あれだけ母と険悪だった父は人が変わったように、一晩中起きて母の手をさすっていた。

「もう寝なさい、あっちに行っておいで。」

父は私にそういったが、私は離れたくなくてリビングで2人を眺めた。

辻井さんのピアノが綺麗で、怖かった。父はこの時がトラウマらしく、今でもクラシックを聴くのが苦手だ。音楽に罪はないけど。

これが私の、母の、私の家族の人生が変わった1週間だ。

1週間が異常に長かった。

ここからがんとの闘いが始まる。